私が糖尿病を始めたころ
https://doi.org/10.57554/2025-0029
はじめに
私が大学を卒業したのは1985年。今からちょうど40年前です。読者の多くの方は想像が難しいでしょうが、当時はヒトのインスリンが出たばかりで、まだブタやウシのインスリンが出回っており、SMBGも始まったばかりでした。1年先輩の野田光彦先生は「糖尿病は国民病、これからは糖尿病が重要な疾患になる」という言葉を繰り返し話されていました。1970年代から1980年代は、今に繋がる糖尿病学の基礎や臨床の実践の流れが形作られた時期でした。当時のことについて書いてみたいと思います。
1970~1980年代の糖尿病研究の進歩
1980年代以前は、日本では1970年に日本糖尿病学会から糖尿病の診断基準に関する最初の委員会報告が発表されましたが、国際的に統一された糖尿病の分類や診断基準はありませんでした。1979年に米国のNational Diabetes Data Group(NDDG)がそれまでの研究成果をもとに、世界のその後の基準作りのもとになる75g経口糖負荷試験(OGTT)に基づく診断基準や糖尿病の分類を発表しました 1)。1980年にWHO専門委員会はNDDG案に近い基準案を作成し、日本糖尿病学会はこれを参考に1982年に新たな糖尿病の診断基準を発表しました。その後WHOは糖尿病の分類や血糖判定基準に若干の変更を加え、1985年に改訂案を発表しました。1980年代には日本人の糖尿病有病率や発症率について数多くの報告が出ました。1992年に出された日本糖尿病学会疫学データ委員会の報告書によると、地域での成人調査、病院での調査や職場調査、政府刊行物などの公的資料だけでなく、18歳未満の小児糖尿病、原爆被爆者、アメリカに移住した日本人のデータについての報告もありました 2)。久山町研究や舟形町研究といった日本を代表する地域住民を対象としたコホート研究が始まったのもこの時期でした。久山町研究では、1988年の健診の結果、40~79歳の受診者の有病率は男性15.3%、女性10.1%を示し、多くの研究から1980年代後半になると40歳以上では5%以上、60歳以上では8~10%に達し、過去20年間に糖尿病人口が実に3~4倍になっていることが明らかになりました 3)。日本人は欧米人よりもインスリン分泌能の低い人が多く、肥満や運動不足などによりインスリン抵抗性が増大するとインスリン分泌が追いつかず、糖尿病を発病しやすいことも明らかになりました。まさに「国民病」です。