4.甲状腺疾患による緊急症―甲状腺クリーゼと粘液水腫性昏睡
はじめに
甲状腺クリーゼと粘液水腫性昏睡は、甲状腺疾患(主にバセドウ病や橋本病)を基盤に発症する致死的な内分泌緊急症(死亡率は前者が約10%、後者が約30%)であり、的確な早期診断と迅速な集学的治療の開始が患者の生死を左右する。しかしながら、両緊急症の疫学的データの不足により、2005年ごろに診断基準や治療指針が国際的にも未確立であった経緯があり、日本甲状腺学会は両緊急症の診断基準と治療指針の作成を臨床重要課題に指定した(甲状腺クリーゼは日本内分泌学会でも指定)。甲状腺クリーゼは、全国疫学調査で収集した臨床データをもとに診断基準と治療指針が作成され、「甲状腺クリーゼ診療ガイドライン2017」として刊行されている 1)。粘液水腫性昏睡は、日本甲状腺学会員を対象とした2008年の実態調査により収集した臨床データをもとに診断基準第3次案と治療指針案が作成・公表されている。両緊急症ともに死亡率が高く、緊急治療が必要な病態であるため、救急医・一般内科医・循環器内科医などの非甲状腺専門医が初期診療にあたるケースが多い。そのため、救急診療に携わる医療従事者は本症の診断や治療法についてよく理解しておくことが重要である。本稿では両緊急症の診断基準と治療指針を中心に概説する。
1.甲状腺クリーゼ
1)病態
甲状腺ホルモン過剰症(甲状腺中毒症)の原因となる未治療もしくは管理不良な甲状腺基礎疾患(主にバセドウ病)のある患者に、感染症や手術などの種々のストレスが加わり、甲状腺ホルモン作用の過剰に対する生体の代償機構が破綻して多臓器不全に陥った緊急病態である。
2)疫学と発症の誘因
本邦における全国疫学調査の結果、本症の発症率は年間入院患者10万人あたり0.2人であった 2)。発症の誘因としては、バセドウ病患者における服薬コンプライアンスの不良や治療の自己中断が最も多い。これらの原因の根底には病識の欠如があるため、「治療をおろそかにするとクリーゼに陥る危険性がある」ことを、バセドウ病患者へ指導するべきである。他に感染症(特に上気道炎、肺炎)、外傷、手術、妊娠・分娩、種々の急性疾患(糖尿病ケトアシドーシス、副腎不全、虚血性心疾患、脳血管障害、肺血栓塞栓症など)も誘因として知られている。
3)症状
多臓器不全による全身性症候、臓器症候に加え、甲状腺関連の局所症候を認める。全身性症候として、発熱・頻脈・不整脈(特に心房細動)・多汗・ショック・体重減少などが、臓器症候として、不穏・せん妄・傾眠などの中枢神経症状、肺水腫や心原性ショックなどの心不全を中心とした循環器症状、下痢・嘔吐などの消化器症状がある。局所症候としては、甲状腺腫大や甲状腺眼症などが特徴的である。