持続可能な糖尿病運動療法
https://doi.org/10.57554/2024-0027
はじめに ―運動療法に行動経済学を取り入れる
皆さんは、目の前の患者に対して、「なぜ、この方は運動しようとしないのか?」「なぜ、この方も運動療法が続かないのだろう?」と感じたことはないだろうか? そう、「ヒトは不合理な行動をとる生き物」 1)である。運動が体にいいことは100人中100人は分かっている。行動経済学とは、人間が必ずしも合理的な行動をとらないことに注目し、人間の心理的、感情的側面の現実に即した分析を行う学問である。「ヒトは不合理な行動をとる生き物」と考えるのである。
1.ヒトは現在バイアスの中で生きている ―「先延ばし」の心理 2)
例えば、ダイエットをしようとしても今日は食欲を優先し、来週からダイエットをしようと思いがちである。糖尿病の重症化リスクが将来生じるものであるため、その影響を大きく割り引いて考えてしまう。現在症状がないことは過大評価されており、治療開始が先延ばしになる。このように、後々苦労をすると分かっていても目の前のことを先延ばしにしてしまう行動は「現在バイアス」によるといわれている 2)。
バイアスとは、合理的なものから系統的にずれるヒトの意思決定をいう 3)。系統的に逸脱する傾向、先入観ともいえる。糖尿病治療の現場においても、このバイアスを前提に患者への説明が必要になる。その中で、現在バイアス 3)とは、人間が効用の大きさを感じる時、現在に近いほど大きく感じ、先のことになればなるほど小さく感じることを指す。例えば、「今すぐもらえる1万円と1年後にもらえる2万円のどちらを選ぶか?」を考えた場合、後者を選ぶのが合理的だが、実際に多くの人は前者を選ぶ。現在バイアスが働き、ヒトはいますぐ手に入る効用に大きな価値を見出してしまう。あるいは、現状維持バイアス 3)「まだ大丈夫」というバイアスが働く。これは現状を変更するほうがより望ましい場合でも、今までの生活や習慣を失うことを損失と考えてしまって、現状維持を好む傾向を指す。計画はできても、それを実行する時になると現在の楽しみを優先し、計画を先延ばしにしてしまう特性である。このように、重大な意思決定を先延ばしにしてしまう。将来の健康的な状態の価値を大きく割り引いて評価するため、現在時点で発生する費用の方を大きく感じてしまい、積極的な医療健康行動を取らない傾向にある。
患者は糖尿病の重症化リスクについて理解していないわけではなく、それが将来生じるものであるため、その影響を大きく割り引いて考えてしまう。現在症状がないことは過大評価されており、その結果、治療開始が先延ばしになる。
手前にある小さな木と奥にある大きな木を見るとき、遠くから見ると奥の木のほうが大きく見えるが、近くから見ると小さな木のほうが大きく見える(図1)。運動もこれと同じで、今すぐという状態では、将来的な健康が小さく見え、現在の休憩が重要なものに見えてしまうのである 3)。
遠くにあるものの価値が割り引かれるという特性である「時間割引」 3)があり、その結果現在バイアスが生じる。この時間割引が高いものほど、喫煙、肥満が多く、予防接種に参加しない、食事制限、運動療法をしないともいわれているようである。