7.担がん患者における血圧の管理
https://doi.org/10.57554/2026-0057
はじめに
わが国における死因の第1位はがんであり、第2位は心疾患である。近年のがん治療の進歩により、がん患者の予後は改善し生存期間が延長した。その結果、がんサバイバーにおいて、心疾患が主要死因の一つとして重要性を増している。高血圧や抗がん剤などの心毒性物質への曝露は心不全ステージA(心不全リスク)に位置づけられ、がん診療の全過程を通じた心血管リスク管理の必要性が強く認識されるようになった。
このような背景のもと、「腫瘍循環器学(Onco-cardiology)」という学術領域が発展してきた。2000年に米国で最初のOnco-cardiology unitが設置されて以降、本領域は急速に拡大し、わが国においても2011年に大阪で腫瘍循環器外来が開設されて以来、全国的に診療体制の整備が進んでいる。
さらに近年では、高血圧に焦点を当てた新たな概念として「がん高血圧(Onco-hypertension)」が注目されている。日本高血圧学会(The Japanese Society of Hypertension:JSH)は2021年に世界に先駆けてこの概念を提唱し 1)、がんと高血圧の関連性に関する研究を推進してきた。一方、米国心臓協会(American Heart Association:AHA)は、2023年にがん治療関連高血圧の病態や臨床的課題を整理し、治療前・治療中・治療後の各フェーズにおける血圧管理の重要性を提示している 2)。JSH主導の近年の研究から、がんや抗がん治療が高血圧を誘発するのみならず、高血圧自体もがんの発症や進展に影響を与える可能性が示唆されており、両者の双方向性の関係が新たな研究テーマとして浮上している 3)。
ガイドラインの整備も進んでおり、2022年には欧州心臓学会(European Society of Cardiology:ESC)から『2022 ESC Guidelines on cardio-oncology』が公表され 4)、国内でも2023年に『Onco-cardiologyガイドライン』が刊行された 5)。さらに、2025年の『高血圧管理・治療ガイドライン2025(JSH2025)』では初めてがん患者における血圧管理が体系的に取り上げられている 6)。このように本領域は急速に体系化されつつあるものの、特に「がん高血圧」に関しては、介入研究に基づくエビデンスが乏しく、実臨床における最適な血圧管理戦略はいまだ確立されていない。
このような状況の中で、筆者らは横浜市立大学附属病院において2024年に腫瘍循環器外来を開設し、がん患者における心血管リスク評価および血圧管理を含めた包括的診療を行うとともに、実臨床データに基づく研究を進めてきた。これらの取り組みは、がん診療の各フェーズにおける血圧管理の重要性を再認識させるとともに、既存エビデンスの限界と新たな課題を明らかにしている。
本稿では、これまでに蓄積された腫瘍循環器およびがん高血圧に関するエビデンスを整理・統合するとともに、筆者らの臨床・研究活動を踏まえ、今後の研究課題と展望について概説する。
1.がん高血圧(Onco-hypertension)とは
1)がん患者の高血圧リスク
がん治療の進歩によりがん患者全体の寿命が延長し、5年相対生存率は64.1% 7)、半数以上のがん患者が10年以上生存する時代となった 8)。がん患者およびがんサバイバーにおいては、高血圧症の有病率が一般集団よりも高いことが報告されており、AHAはがん治療前・中・後における管理の必要性を提唱している 2)。国内の疫学ビッグデータ解析でも、がんの既往がある人は高血圧発症リスクが高いことが確認されている。がんの既往歴のある患者78,162人とがんの既往歴のない3,692,654人を対象として、高血圧の発症率の比較が行われた。がんの既往歴がある人は高血圧を発症するリスクが高く(ハザード比〔HR〕=1.17, 95%信頼区間〔CI〕:1.15~1.20)、早期の抗がん剤治療を必要としたがん患者の高血圧リスクはより高い(HR=2.01, 95%CI:1.85~2.20)が、早期に抗がん剤治療を行わないがん患者でも高血圧のリスク上昇がみられた(HR=1.14, 95%CI:1.12~1.17) 9)。この結果は、抗がん剤治療のみでなく、がん自体でも高血圧リスクが上昇する可能性を示している。がんが高血圧を生じる機序としては、微小血管減少、性ホルモン減少に伴う血管拡張反応の障害と血管収縮作用の増強、血管内皮機能障害による一酸化窒素(Nitric Oxide:NO)シグナル伝達の障害とそれに伴う酸化ストレスの増加が考えられる 10)。日本人の主要ながんである乳がん、大腸がん、胃がんの既往歴を持つ33,991人を対象とした疫学ビッグデータ解析では、高血圧診断基準よりも低い高値血圧(130~139/80~89mmHg)の段階から心不全発症リスクが上昇していた。さらに血圧上昇に伴い、心筋梗塞、狭心症、脳卒中、心房細動の発症リスクも上昇しており 11)、がん患者における血圧管理の重要性を示唆している。