私の研究生活
https://doi.org/10.57554/2026-0030
はじめに
前回、1970年代から1980年代は今につながる糖尿病学の基礎や臨床の実践の流れが形作られた時期であることをお話ししました。私は、その時期に虎の門病院で糖尿病の専門研修を始めたことが、私の現在の1型糖尿病の臨床や研究につながりました。その後の10年間の研究生活は、私にとって新たな転機のきっかけとなりました。
第18研究室
私は虎の門病院での研修の後、春日雅人先生(朝日生命成人病研究所所長)のグループに入れていただき、大学卒業後4年目の1988年6月から大学の病棟で研修医の面倒を見ながら、研究室で基礎研究のイロハから習うことになりました。春日先生は、1983年にインスリン受容体のチロシンキナーゼ活性を発見されましたが、インスリン作用の機序はもとより、糖尿病の病態を分子的なレベルから解明しようという研究が世界中で行われていました。当時は、医学分野は遺伝子研究の黎明期で、私は大学に戻って、インスリン分泌を研究されている柴崎芳一先生(前 東京大学先端科学技術研究センター特任教授)のもとで、遺伝子研究の手ほどきを受けることになりました。柴崎先生は本庶佑先生(後にノーベル賞受賞)のもとで医学研究を学ばれ、東京大学医学部第三内科の中に新たに作られた、第18研究室(18研)の一員として研究を始めていました。18研は当時教授であった髙久文麿先生が1987年に2つ目の細胞工学研究室として、旧レントゲン室を改築して作られたものです。各分野から気鋭の先生方が集まり、切磋琢磨していました。
糖尿病の研究室からは柴崎先生のほかに、小田原雅人先生(国際医療福祉大学臨床医学研究センター教授)、浅野知一郎先生(広島大学医系科学研究科名誉教授)、さらに後には片桐秀樹先生(東北大学大学院医学系研究科教授)、寺内康夫先生(横浜市立大学教授)、窪田直人先生(熊本大学大学院生命科学研究部教授)、山田哲也先生(東京科学大学教授)が加わりました。循環器の研究室からは倉林正彦先生(群馬大学名誉教授)、小室一成先生(国際医療福祉大学副学長・教授)、方山栄哲先生(かたやま医院院長)、後に塩島一朗先生(国立循環器病研究センター研究所長)が加わりました。消化器の研究室からは油谷浩幸先生(東京大学先端科学技術研究センターシニアリサーチフェロー)、金森博先生(東京クリニック院長)、後に和田洋一郎先生(東京大学アイソトープ総合センター教授)、児玉龍彦先生(東京大学名誉教授)が来られました。18研は梁山泊のようなところで、個性的でハードワーカーな先生たちが常に自由闊達な議論を交わし、大変刺激を受けました。18研では古い建物の奥まったところにある薄暗い内科講堂で定期的に合同のリサーチカンファレンスを行っていましたが、熱い議論の中で片桐先生はいつも鋭い質問をぶつけていました。寺内先生はコツコツと確実に自分の研究を進めていました。油谷先生は毎日椅子2つを並べてベッドにして夜な夜な研究され、朝行くとまだ実験を続けているのが当たり前の生活になっていました。児玉先生は動脈硬化の鍵になるスカベンジャー受容体の精製とクローニング 1)で世界をリードされましたが、18研に戻ってからも精力的に研究を進められました。一方で、児玉先生が帰国して研究室のメンバーに声をかけ、月の砂漠で有名な千葉の御宿まで家族連れの小旅行に出かけたことを昨日のことのように覚えています。
余談になりますが、現在、国際医療福祉大学教授をされている小室先生は私が研修医の時の指導医で、研修医時代夕方になると病棟に来られいつも患者さんの病態について深掘りする本質的で鋭い質問をされていました。そのような経験はとても貴重だったと思っています。