4.肥満症・MASLD/MASHの空間マルチオミクス解析とマルチモーダルAIによる分子病態解明と治療戦略開発
https://doi.org/10.57554/2026-0005
はじめに
代謝機能障害関連脂肪性肝疾患(metabolic dysfunction-associated steatotic liver disease:MASLD)および炎症を伴う代謝機能障害関連脂肪肝炎(metabolic dysfunction-associated steatohepatitis:MASH)は、肥満や糖尿病などの生活習慣病を背景に急速に増加しており、先進国における慢性肝疾患の主要な原因となりつつある 1, 2)。日本においても20〜30%がMASLDを有するとされ、極めて高頻度にみられる病態である。しかし、その中でどの症例が将来的に肝硬変や肝細胞癌(hepatocellular carcinoma:HCC)へ進展するのかは、いまだ十分に解明されていない。さらに、MASLDでは心血管疾患や他臓器癌のリスクが増加することが知られており、死亡原因としてはむしろ肝疾患死を上回るとされている。加えて、現時点でMASLD/MASHに対する有効性が確立された治療薬は限られており、わが国では保険適用を有する承認薬が存在しないことから、極めてアンメット・メディカル・ニーズの高い疾患である。この背景として、MASLD/MASHは、肥満や生活習慣、糖尿病や脂質異常症などの併存疾患に加え、酸化ストレスや小胞体ストレスなどの細胞内ストレス、遺伝性素因、免疫調節異常などが複雑に絡み合って形成され、極めて不均一な病態を呈し、患者ごとに進展リスクや治療反応性が大きく異なることが挙げられる。従って、分子病態に基づく層別化と、適切なフォローアップを含めた個別化医療戦略の確立が喫緊の課題である。
近年では、ゲノム解析、トランスクリプトーム解析、メタボローム解析など、さまざまなオミクス解析技術を用いてMASLD/MASHの病態解明を目指す研究が進められてきた。しかしながら、従来のバルク解析では空間的・細胞種特異的な情報が得られず、病態の多様性を十分に捉えることは困難であった。そのような中、空間トランスクリプトーム解析技術の進展により、肝臓組織内における細胞間相互作用や微小環境の変化を高解像度で把握することが可能となり、MASLD/MASHにおける病態理解は新たな段階に入っている。特に、肝臓は門脈域から中心静脈に至るZonation(肝小葉内機能分化)により代謝機能や病態応答が大きく異なることが知られており、その空間的理解は極めて重要である。
さらに、臨床データや病理画像、ゲノム、トランスクリプトーム、プロテオームといった多層的データを統合するマルチオミクス解析に加え、AIを組み合わせたマルチモーダル解析は、膨大で複雑な情報から、病態解明やリスク層別化を可能にする有力な手段として注目されている。われわれもこれまでに、病理AIとバルクRNA-seq、さらにはシングルセル空間トランスクリプトーム解析を統合することにより、発癌と関係する特徴的な線維パターンを見出すとともに、その背景にある発癌促進的な微小環境を同定し報告してきた。これらの取り組みにより、病態進展に関わる新たな分子基盤や治療標的候補が徐々に明らかになりつつある。
本稿では、肥満症・MASH/MASLDを対象とした空間マルチオミクス解析とマルチモーダルAIによる分子病態の解明の最前線を概説し、そこから導かれる新規治療戦略の可能性について論じる。
1.肝臓におけるZonationとMASLD
肝臓はその解剖学的構造から、門脈周囲のZone 1、肝静脈周囲のZone 3、その中間に位置するZone 2の三つに区分され、それぞれが異なる代謝機能を担っている 3)。Zone 1肝細胞は、肝動脈および門脈から供給される酸素や栄養が豊富な血液を利用して、糖新生、尿素回路、脂肪酸β酸化、タンパク質合成といったエネルギー消費型の代謝を主に担う。一方、Zone 3肝細胞は、シトクロムP450をはじめとする薬物代謝酵素や脂質生合成酵素、解糖系酵素を多く発現している。そのため、MASLDではZone 3を中心に脂肪蓄積が始まり、肝細胞死や線維化も初期にはZone 3優位に進行する。
また、MASLDでは「選択的インスリン抵抗性」と呼ばれる現象が知られている。すなわち、糖新生抑制に対するインスリン作用は障害されている一方で、脂質合成に対するインスリン作用は保たれており、脂質蓄積が亢進する状態である。その分子基盤はいまだ完全には解明されていないが、Kubotaらはインスリン受容体基質(Insulin Receptor Substrate:IRS)の発現分布に着目し、その一端を明らかにした 4, 5)。IRS2は肝臓全体に発現するが、IRS1は主にZone 3に発現する。高脂肪食負荷マウスではIRS2の発現が著しく低下する一方、IRS1発現は比較的保たれており、このことが糖代謝障害と代償性高インスリン血症を惹起しつつ、Zone 3における脂質合成をむしろ亢進させることを示した。すなわち、Zone特異的なIRS発現が選択的インスリン抵抗性の形成に寄与していると考えられる 6)。
さらに近年の単一細胞RNAシークエンス解析(single-cell RNA-seq:scRNA-seq)や単一核RNAシークエンス解析(single-nucleus RNA-seq:snRNA-seq)技術の進歩により、1細胞単位での網羅的な遺伝子発現解析が可能となり、同一の細胞種内でも機能の異なる複数のサブタイプが存在することがわかってきている。その結果、肝細胞のみならず、マクロファージ、類洞内皮細胞、肝星細胞(hepatic stellate cell:HSC)など非実質細胞もZone依存的に異なる機能を担うことが示されている 7)。すなわち、肝臓を構成する多様な細胞種の相互作用がZonationを形成しており、その破綻がMASLDを含む多様な肝疾患の病態形成に深く関与していると考えられる。