第5回 ポール・セザンヌとフレイル
公開日:2024年8月23日
糖尿病・内分泌プラクティスWeb. 2024; 2(4): 0063./J Pract Diabetes Endocrinol. 2024; 2(4): 0063.
https://doi.org/10.57554/2024-0063
https://doi.org/10.57554/2024-0063
「近代絵画の父」として知られるポール・セザンヌ(図)は、1839年1月19日、南フランスのプロヴァンスに生まれた。父のルイ=オーギュスト・セザンヌは、一介の行商人から銀行家まで成り上がった人物であった。彼は長男であり、妹が2人いた。1858年、セザンヌは父の勧めでエクス大学(現・エクス=マルセイユ大学)の法学部に進んだが、画家になる夢を諦めきれず、1861年についには父を説得し、月125フランの仕送りをもらいパリで絵画を学んだ。一旦は自分の才能の絶望し帰郷したものの、翌年パリに出戻り、画塾で学んだ。そこで、モネやルノワールと出会ったようである。その後1865年から1871年まではサロン(官展)に応募しては落選を続けた。彼がサロンに入選したのは1882年の一度きりであったが、1889年の万国博覧会に作品を展示したころには前衛的な若い芸術家や批評家たちの間でセザンヌに対する評価は高まっていった。1895年、画商ヴォラールによって開かれた初の個展は1868年ごろから1895年までにわたる約150点の油彩画でセザンヌの画業の集大成ともいわれる作品で、好評を得た 1~4)。